「東京武道館」と「東京拘置所」の件

オハヨウゴザイマスたま男です
今朝は「東京武道館」と「東京拘置所」の件



「東京武道館」と言えば
千代田区にある「日本武道館」と混同されるが
コチラは足立区の東綾瀬にある

住所は:東京都足立区綾瀬3-20-1


昔々
足立区で
この武道館が建設されるとの情報が広まると
根拠がまるで無いウワサが
区民の中で広まった


「日本武道館」は「武道館」なのに
コンサートやプロレスやイベントばかりやってるので
本来の「武道」だけに特化する事になった
なので別に
足立区の綾瀬にイベント用の「東京武道館」を建設する

故に綾瀬の武道館では
ポップ歌手のコンサートや
プロレスの興行が常に行われる

つまり
近場でスグに見に行ける!ヤッタネ!


・・・というウワサ

だが実際はその逆で
武道やスポーツの大会は行われるが
アイドル歌手などは全く来なかったのだ

なので
せいぜい「成人式」の時くらいしか
普通の足立区民には馴染みが無い施設
それが「東京武道館」である



その「東京武道館」には現在

「東日本大震災」で避難してきた
被災者の方々が約300名いらっしゃる

画像


民主党のお偉方
日本の内閣総理大臣である「管直人」首相が
被災地をヘリコプターで降臨して視察してた中

「天皇皇后両陛下」が
今回の大震災で
避難所を訪れ直接お見舞いした
はじめての場所として
TVのニュース番組などで
ご覧になった方も多いだろう

そのニュースは→コチラ


税金をむやみかけた大きな武道館なので
冷房・暖房は効かせているだろうが
集団生活なので
被災者の個々の好みに合わせられる
快適な生活とはいかないだろう

足立区は
災害に対しての備蓄などもシッカリしてるし
ボランティアや支援物資も供給されているので
物質的援助はできてると思うが

それでも
慣れない土地・場所で
何も罪が無い方々が
苦難を強いられている現状・現実がここにはある




この「東京武道館」から
直線距離にしたらホンの1km位の場所には

小菅の「東京拘置所」がある





近年改装があって
敷地を取り囲む「塀」すら無くなった

画像

(写真は塀がまだ残ってた2010年6月頃)

住所は「足立区」だと思われがちだが

:東京都葛飾区小菅1-35-1


この施設を
よく「小菅刑務所」と呼称してしまう方が多いが
実際は「拘置所」だ

ん?おんなじじゃん!

と思う無かれ
「拘置所」は「刑務所」ではない

細かく言うと
この「東京拘置所」に収容されている人間は

・刑事被告人
・懲役受刑者
・死刑確定者

である


「刑事被告人」とは
起訴され裁判の前・中の被告人の事
つまり「刑」が確定してない人間


「懲役受刑者」は
本来拘置所は刑を受ける場所ではないので
各施設などへ移送するまでの間
あくまで一時的に居る人間


そして
「死刑確定者」は
そのまんま「死刑」が確定してる人間だ

「刑罰」として国家が認証してるシステム
それが適応された「死すべき」人間である


「死刑確定者」は
「刑罰」そのものが「死刑」なので

いわゆる「刑務所でおつとめ」(懲役)はしない

その義務は無いのだ
だから
死刑が執行されるまで「拘置所」にいる

しかも歴代の法務大臣が
「判決後6ヶ月以内に死刑を執行する」
という法律を無視して
長年放置するものだから
地下にある「刑場」に行かずに

冷房・暖房が完備された
「南収容棟」で

働く事も無く
三食のメシを食い

「税金」を消費しながら暮らしている



「死刑」を語る時
実にありきたりの議論というか標語が
何時でも何度でも繰り返される

・冤罪
・終身刑
・応報刑
・抑止効果
・コスト

それらのキーワードで遊び
果てには「先進国の中では・・・」という
身の程知らずの自称国際派気取りが生産される


刑」から守るために
国家による統治を円滑に行うために

「法律」や「拘置所」や「刑務所」を作り
高い塀を作って

罪人が橋のたもとに縛り付けられ
石つぶてを投げられ虐殺されないように

罪人を人目から隔離してるのに

「人権屋」やそれに順ずる方
そしてそれに見事に乗っかる主体性の無い方は

安全な場所で今日も
何も生産せず
ただ「声」だけを張り上げるのだ


「死刑制度反対!」と叫びデモをする層

現在「原発反対!」と叫びデモをしてる層

そこには
「私刑」を行使する時のような
熱狂に酔いしれている人間特有の残酷な表情が見える






まとめ:

「不条理」はどこにでもあります
それは極めて当たり前の事です

ソレに
「大震災」が起きてから
今頃気づく方も
いまだに気づかない方もいます

「罪」は誰にでもありますが
社会から確定された「罪人」もいます


無知によって恐怖におびえ
我欲のままに行動するのを
「国際的な視野」と言うのならば

私は分相応に
「見える範囲の視野の狭い人間」
になりたいと願います