「脱原発を訴え6万人の集会」との件

コンバンワたま男です
今晩は「脱原発」を訴え
6万人の集会があったとの件


そのニュースなどを見て
多くの日本人が感じてるであろう
「違和感」
を簡潔にオハナシする件



簡単なハナシです

脱原発を訴えてている方々には


「犠牲」(サクリファイス)


がありません

・自らはなにも差し出さず
・なにもやっていないのに
・要求だけはする


彼等は
「できる事をしよう!」という
用意されたフレーズを盾に

自分のできる「我欲を満たす為」の事をしています




団塊世代の老人達が

残り少ない生命への不安や
社会に関わっていないと忘れられる恐怖
子供や孫に相手にされない寂しさ
その心を埋める為に

「未来の子供達の為に!」

と叫び
迷惑にも「未来の子供」に観念を押し付けています

老人達が長年
散々「文化」や「自然」を破壊して
私利私欲の限りをつくしうえに
溜め込んだ「貯蓄」
それを開放することもなく

恥もなく要求だけはする




若者は
ただの「従順な消費者」を
見事に演じてくれています

「自らの自由意志で行動してる」

という錯覚が
そう仕掛けられた作為の結果にすぎないのだと気づかず

ロック歌手やアイドル
政治運動や環境活動
に熱中するのと同じく

若者特有の
根拠の無い「妄信」をしている


「仲間」や「みんな」という
共同体に属してなければ不安な
田舎モノ
の若者達を食いものに「商売」をしている
「市民」という「企業」を育てているのです





大江健三郎氏のコメント

私たちに何ができるか。民主主義の集会、市民のデモしかない。しっかりやりましょう」



「市民」とは特権階級です
「市民」になるにも資格ってぇもんがある

それが「民主主義」というマジックワードのおかげで
だれでも市民を気取れる

「犠牲」なくして
権利を手に入れた者達


脱原発を叫ぶ彼らの「言葉」

そこに違和感を抱く






まとめ:

いや!
「未来の子供達が犠牲になるだろ!」
「犠牲になった被災者も参加してんだぞ!」

とか言い出す方もいるかもしれませんが

今回の「犠牲」とは
「己を捧げる見返りのない犠牲」のハナシです





「Hosanna」
(Jesus Christ Superstar 2000)